ゲームギア

1990年10月6日にセガから発売された携帯型ゲーム機。
本体が横長になっているため、両手でしっかり掴めて持ちやすい形状をしていました。
同時期に発売されていたゲームボーイPCエンジンGTといった国産の携帯型ゲーム機はいずれも縦長タイプでしたので、見た目のインパクトもありました。
本機最大のセールスポイントは、4096色中32色を同時発色可能(ゲーム時)なカラー液晶画面。
国産のゲーム機としては初となるバックライト付き3.2インチカラー液晶ディスプレイを搭載していたので、当時のゲームファンたちは色鮮やかな画面にテンションが上がったものです。

携帯型ゲーム機で初のカラー液晶を採用したのは海外メーカーのアタリが1989年発売したリンクスなのだが、日本では知る人ぞ知るという感じだったので、筆者的にはカラー画面の携帯型ゲーム機と言えばゲームギアというイメージが強い。

セールスポイントとしてはテレビ視聴が可能な点が挙げられるでしょう。
別売りの“TVチューナーパック”が必要となるのですが、これをカートリッジスロットに挿すことでテレビが見られたのが当時としては斬新でした。
当時は家族それぞれの部屋にテレビがあるというほうが珍しい時代で、驚かれたのです。。

 

 

崩せなかった牙城

カラー液晶でありながら19800円という値段設定は、かなりの魅力でした。
単3型アルカリ乾電池6本でプレー時間が3〜4時間で、ライバルのゲームボーイと比べると電池の持ちは弱点でした。
カーアダプタ、パワーバッテリー、充電式バッテリーパックといった周辺機器が発売当初から準備されています。
中でも充電式バッテリーパックはゲームをプレイしながら充電できる優れモノでした。
また、『セガ・マークV』、『マスターシステム』、『メガドライブ』のACアダプタも使用できるよう配慮されていました。
多くのゲームメーカーは、ゲームボーイ向けにソフトを供給したことに加え、アーケードではセガ自身が出して人気を博した「テトリス」がまさかのゲームボーイに取られてしまい、「テトリス」は400万本以上の大ヒットとなったのです。
そして当時の子供たちの遊び方のスタイルは、電池持ちの良さこそが重要でした。

現代の「携帯ゲーム機は1人1台」というスタイルではなく、ネットもない時代。
携帯ゲーム機を屋外に持ち出し、友達同士で回して遊ぶため、アダプターを使うシチュエーションでは意味がなかったのです。

ゲームボーイは、ゲームギアの発売から8年後の1998年に「ゲームボーイカラー」を出し、累計出荷数を1億1869万台に伸ばしています。
カラー路線は間違っていなかったのですが、電池の持ちがあってこそだったのですね。
サードパーティーの参入は『メガドライブ』ほどは獲得できず、ナムコやタイトーといった大手メーカーの参入はあったものの、『ゲームギア』向けゲームソフトのリリースペースはあまり上がりませんでした。
結果論になりますけど、ゲームギアのコンセプトは時代に合わなかったのでしょう。
それでも「世界出荷数は1000万台超」(セガ広報部)というのですから、ゲームギアは一定のシェアを取ったといえます。
ゲームギアの発売から4年後、「プレイステーション」と「セガサターン」という、グラフィック重視の据え置き型ゲーム機が登場して一世を風靡し、その盛り上がりに反比例するように、携帯ゲーム機が売れなくなりました。
残念ながら、その後継機の発売は行いませんでした。

 

発売30周年を迎えた2020年には、手のひらサイズの“ゲームギア ミクロ”が発売されています。

 


ゲームギアミクロ レッド